2017年10月14日土曜日

對木裕里インタビュー 第2回

昨日から掲載しております對木裕里さんのインタビュー、本日は第2回をお送りします。



―作家になろうと思ったきっかけはなんでしょう?ランドスケープデザインにはじめ興味があったというお話をききましたが

 目に見えている景色を変えたいと思ったんです。高校が高台にあって、城下町なんですけど海が見えて、景色があって、看板なくしたいな、とかあのビルは無いほうが美しいなとか思っていて。その一番大きいデザインをするのがランドスケープデザインだと知ったので希望しましたが、本を読んでみるとデザインというのは人との関わりに比重をおいたものだと気づいたんですよね。屋根の色変えてください、ビル壊してくださいと交渉しに行かなきゃいけない。
 それは大変そうだなぁと思っていた時がちょうどイサムノグチ生誕100周年の時で。雑誌で特集を組んでいて、ノグチのことを知りました。イサムノグチは彫刻家だけど公園作ったり、家具を作ったりもしていて、その手があったか!と。彫刻を作れば空間を変えられる。だから彫刻という表現に行きたくなっちゃったんです。

通っていた高校のあった小田原の町


-高校生の時まで美術にはあまり関わりはなかったのでしょうか?

 高校はバドミントン部で、美術は全然知りませんでした。工作は好きだったと思いますが、あんまり学校でほめられた記憶はないんです。
 ただ空間デザインは大学受験の科目で立体制作があって、ものをつくるのって楽しいと気づいたのと、小論文という概念をつくることが好きだったのでファイン系に行ったのは自然な流れだったのかもしれません。

大学の自由課題を初めて制作したときの作品

ですので受験の時は彫刻のことを全然知らず、デザイン科の対策しかしてませんでした。石膏像とか、人体は一回しか描いてない。当時武蔵野美術大学の彫刻科の試験はムービングという人体デッサンで、私の時はモチーフがロープをもった男の人がずっと動いていて、それを描く。だからみんないろいろ、勝手に自分の中のストーリーみたいなもの入れたりしていいんです。5時間、動いている人のデッサンをするって楽しかったんです。描けないけど下手だけど、自分で解釈付けていいんだって。


―アーティストになりたいと思って美大を目指したわけではなかったのでしょうか?

 ぜんぜん。思ったのは、最近です(笑)。ランドスケープをやりたいって思った時文系だったから建築に行けなくて。建築がだめでも建築に近いことをしたいというと美大になる。そして大学は結果的に彫刻に行って。見るものすべてが新しかったですね。吸収するのにいっぱいいっぱいで将来何になりたいかわからないままですが、とにかく面白かった。


卒業制作展示風景 6点の作品で構成されている
 教授のお話や、美術書を読んでやっとちょっと言っている事わかってきた、くらいが卒業でした。卒業制作の論点は「ものの振る舞いとイメージにおける差」がテーマだったと思います。空間の左奥に立っている作品は枝が万力で立っていることのおかしみと全然色と素材が違うスポンジチューブがつながっていることで本来のものの振る舞いとイメージに差が生まれるという作品です。学部生の時は樹脂を使っていて、石膏取りはしてなかったですね。自分の手から離れるのがいやだった、ずっと見ていたくて、それは今と反対ですよね。だから自分の中の「イメージ」への意思が強かったと思います。


―彫刻の大学院に進学してからはどうでしたか

卒業して、このまま話が通じるところにいたらよくなさそうだなと思って大学院は京都に行きました。学部では先生たちが作品を解釈して講評してくれましたが、京都ではなぜこうなのっていう事をひたすら聞かれました。自分が作ったのだから答えられるはずなんですが、なんでこの色なの、形なの、素材なの、と聞かれて答えられないことに驚きました。感覚的にたくさんのことを決定しているということを、意識していなかったなと。わからないことをわかっているっぽく作っていたなという反省から大学院は始まりました。

大学院の修了制作 天井にカンヴァスが吊られている
わからないということに自覚を持たなければいけない。そして、わからないことをわからないまま持ち続けてもいいのではないか、と気づきました。近似値の答えを用意するくらいならわからないほうがましだと思って。それで立体の手を止めて、絵を描き始めるんです。作って、置く、という当たり前に受け入れていたことを一度見つめ直したいと思いました。
大学院の修了制作は平面作品で、全部じゃがいもの絵ですけど、絵はいくら描いても体積が大きくならないので、いくらでも描けて楽しかったです。ただ、色を使って線を引いたり、面を作ったりするのが楽しいだけで見せることまで興味がわかなかったので、普通に見なくてもいいやって吊ってしまいました。私って画家じゃないのだなあと思いました。
でも絵を描くんです、この後も(笑)。院を終了してからは油絵を始めて、なんだか踏ん切りがつかなかったんでしょうね。それから2年くらい絵を描いていました。


―院を出てから作家活動はどのようにすすめていったのでしょう?

震災の年に卒業したんです。そのときは作家、美術の社会への即効性のなさを目の当たりにしました。みんなちょっとしょんぼりしていましたし、アーティストに何ができるかといった話をずっとしていましたが、やはりああいった状況で即社会に貢献する力は、アートでは難しかったと思います、打ちのめされました。

大学院終了後に出品したグループ展の展示風景
仕事が決まっていたんですが観光産業だったのでなくなってしまって。展示も決まってなくて制作は行き詰っている。修了制作をみて声をかけてくれる人とかギャラリーの方もいましたけど、次大丈夫?何つくるの?って聞かれました(笑)。袋小路だったんだと思います。そこには何にもないよっていう。


―でも作家やめようということにはならず、第8回大黒屋現代アート公募展に絵画で応募して入選しますね。

 他にがんばれる事が見当たらなかった、仕事ないし(笑)。何も決まっていないけど、制作するしかないって思ってやっていました。別に誰からも頼まれていない、役にも立たない制作をしているときに、ひとりでやってくんだな、でもつくるんだな、そうやって生きていくのかなって、思いました。追い詰められましたね。

第8回大黒屋現代アート公募展入選作品「知らない」
 コンペには沢山出していましたが、作家が審査員でいてくれないとたぶん通らないだろうなと漠然と思っていて。大黒屋の公募展は菅さん、小山さん、天野さんが審査員で、これは見てもらえるだけでもラッキーというか、見てもらいたいと思って応募しました。
実は立体に戻っていくのは大黒屋がきっかけなんです。卒業してコツコツ2年間油絵をがんばって描いてそこそこ納得できるものがつくれて、入選してほめられて、これやっと報われた!ってすごくうれしかったんです。その時に先生たちに絵はそろそろやめたら?と言われて納得しました。次は立体をつくろうって。
2年間がんばってきたことが報われたし自分がやることも決まって、かなり満足していたんですけど、帰り際に大黒屋のスタッフさんに大賞目指して頑張ってね、って言われてはっとしました。作家はがんばらないといけないんだって。一回ほめられて満足しているようではだめで、何回も何回もトライして良くて、しなきゃいけないなと。自分が大賞を目指していいんだなと思いました。それで次の年は立体で出しました。


―また立体を制作し始めてからは、大賞を獲得した作品のような石膏型どりの技法で制作をするようになったんですか?

第9回大黒屋現代アート公募展入選作品「夜に流した」
 型取りって形をストップさせて素材を置き換えている、かなり飛躍的な事だと思います。あるものを使ってものを作ることとはだいぶかけ離れた事なのですぐそこには行かなくて。身の回りにあるものを組み合わせて、もののふるまいとかを考えながら空間を作っていく意識が強い作品を作っていました。
 2回目の入選作品で大黒屋で展示した作品は、方向とか重みとかスピードとかを意識して布に樹脂を掛けたものでした。


―そういう過程を経て大賞を取った作品はどうでしたか?

 大黒屋の公募展に出すなら最後にしようと思っていたので思いっきりやろうと思って、これを機にずっと避けてきた粘土やりましょうと。かといって作りたいいいイメージがなく、とにかく手を動かした方がいいなと思って、最初は自分の首、首像を作っていたんです。ただ、基本的に塑像をしっかりやっていないから、下手で。だいたい作りきったあとでその形をつぶして抽象的な形にしていって左側の形ができました。それを置く背景が必要だなと思って塔のような部分を作り、それらがあるためには土地が必要だなと思って土地を作り、最後抜けが必要だなって思って筒の部分を作った。とても場当たり的、手さぐりで、バランスを作っていきました。

第11回大黒屋現代アート公募展大賞受賞作品「rolling field」
 粘土の型取りって好きな形が作れるので自分の力が強く出て、すごく作為的なんです。とても不自然な事をしているんだけど、静物のようなごく自然な空気を生みたいと思っていました。作ることで自分の作為を消していこうと思っているうちにあのかたちになったという感じです
 「かたち」もすごいころがったんですね。かたちというよりは、それが出てくるまでの場の方に意識がいっていたんでしょうね。久々に行った型取りというものが不思議で。


―大黒屋で個展するにあたって意識したことは?


大黒屋サロン「對木裕里展」展示風景

 大賞という看板は大きいので、全部をここでぶつけなきゃいけないと思っていました。普通のギャラリーでやればお客さんは美術としてそれを目指して見に来てくれるんですけれど、ここではそうでないので。自分の言葉の組み立てにしても、もっと自分の中でことばをもっと磨かないといけないと思っています。自分がすっかり忘れていたような思いもよらないことを言われるでしょうし。 


 大黒屋では生活というか日常の中で彫刻を見ますよね、それは不思議なことだなって思っています。お風呂上りかもしれないし。ごはんをこれから食べるかもしれない、いろんな状況で何回か作品を見るわけで、その見られ方って魅力的だと思います。状況で物を見てもらえる場所。作品がたくさんあれば様々なタイミングで何回も見られるので、いろんな発見があってそのたびに違ったものが目に付くということができたらいいなと思っています。


明日の第3回では作品の背景にある考え方についてお聞きしています。
どうぞお楽しみに。