2015年10月15日木曜日

タナカヤスオインタビュー 第1回 「描く行為」と「身体」について

現在大黒屋サロンで開催されています「タナカヤスオ展」に際して
作家タナカヤスオさんのインタビューを3回のシリーズで
掲載いたします。

タナカヤスオさんは2014年大黒屋現代アート公募展で大賞を受賞されました。
大黒屋で個展を開かれるのも詳しくお話を聞かせていただくのも
初めてであり、貴重なお話を伺うことができました。







―作品についてお聞かせください

 アトリエで出来上がった状態の「No.85分岐時間」2015

「何を描いてるの?」「これなんなの?山なの?」ということを
よく聞かれるんですが、「何か」を描いているわけではないんです。
ピアノを描くだとか、ものを描くとか。自分の感情であったりイメージとか
そういうことでもありません。絵の具を、もっと物質的に捕らえています。
絵の具もただの物質だろうと。

つまり、イメージを絵にするための材料として絵の具を使って「描く」
=物質で何かをコピーして3次元に出現させるのではありません。
物質を使ってキャンバスに塗ればそれはやはり絵画になってしまうともいえるので、
「絵画」自体を絵の具という物質を使って「作っている」という言い方が
しっくりくると思っています。



―描く「行為」自体はどのように考えますか?

タナカさんは、平らな空間に、絵の具やペイントの断片のようなものを置いている。
置いているといったが、それは表向きあまり計算している感じがしない。
それはおそらく、空間に置かれたものが物体的なものでなく、概跡的なもの
だからです。そのものは、特に意味のありそうなカタチでも構造でもない。
空間上に浮かんでいるような色体が、関係も脈絡もなく点在しているかのようです。

−菅木志雄「浮かんであるもの」タナカヤスオ展リーフレットより
 
 平面ではありますが、平面に「描く」というよりも「作って」いるという感覚も
少なくないんです。今回の受賞展に関して菅さんにいただいた文章にも
「絵の具を置いている」、という文がありましたが。「置く」という言葉が
しっくりきます。塗っているとか描いているというよりは、必要な場所に置いて
いって画面を「作る」という。
 たとえば、絵に黒いちょんちょんという小さい点がありますが、あれは置いている
感覚ですね。
 
 小さいころ父親と囲碁をうっていたんです。囲碁のルールって面白いですよね、
どこにうってもいい。どこにうってもいいけれど、ちゃんとその中には道筋というか
自分の陣地をとるために意味があって。本当にどこにでも自由においていくと
勝負に負けてしまう。不思議と白いキャンバスの前で、黒い絵の具を「ここだ!」と
描いていると思い出します。自由、好き勝手にやればいいんだけれども、
正しい場所に置かないとだめなんですね、本当に。イメージを消すために削ったりも
しますが、ちょん、とその後で置いていく。何か足らないんでしょうね、画面に。
 
 あと、見ている人は色々なイメージを見るんですよね、それはいいんですけれども、
少なくとも描くとき自分はイメージを消していこうとしています。
だから頭を空っぽにしたほうがうまくいきます。でも人間ですから考えちゃいます。
へんなことを思い出してしまったりとか。いらいらしていたりとか、色々あります。
でも例えると100メートル全力疾走している人は走っている間ほか余計なことを
きっと何も考えていないんですよね、そういう状況に毎回なれるわけでは
ないですけれども、そのくらいそこにばーっと集中したほうがうまくいきます。
 
 やはり「体で描く」という感覚があるんでしょう。描いた後にこれは何を
やっていたんだろうと考えますしタイトルとか考えます。ただ、頭で考えるときは
考えますけれども、描くときはやっぱり体じゃないでしょうか。

 考えるのは頭、描くのは体。そういうことですね。


-「体」で描くといいますが、何か訓練されているんですか?

絵の具という「物質」を使って「体」で描く

 体をつくる、というか、そういうわざとらしいことはすきではないです。
日常の中で体を使っている感じです。
 むしろ、「身体感覚」と「運動能力」、「反射神経」です。すっと描くと、
その前とは違った表情が見えてきますね、それに反射しないといけない。
あ、こういう表情が出たからどうしようかな、と考えているともう間に合わないから。
 それに反射して筆をのっけていないといけない。実際にそういう動きがバーっと
つづくとかそういうことではないですけれども、描いているとき反射していくという
ことだと思います。
 
 武道でもスポーツでも、対人競技をやっているときに自分の自由にやりたいこと
なんかやっていたら負けますよね。それによけいな動作をやっているとその隙に
やられてしまう。先生や先輩の動きを真似て不必要なものをどんどん削っていきます。
 動作全てに意味というか、機能があって、一流までいくとその機能的な動きが
美しくもあって。自分もそういったことは、小学校から大学まで経験がありますので、
ある意味自分の体のルーツのようなものがそこにあるんだと思います。
時間ができたらまたはじめたいと思っています。体の基礎にあると思うので。


―「完成」とするときと、制作にかかる時間はどのくらいですか?

 感覚的に、完成したときはわかります。たとえば大賞をとったときの作品はもう
「これはいいものができた!」と迷わないですね。
 よくないな、と感じたものはすぐに消してしまいます。いちど寝かせてまた描くと
いうことは一切しません。全部が一度にできないとだめです。乾かないで塗ると
いうのは後で塗るというのでは油絵の具の表情が違います。もちろん1日くらいは
寝かしておいてもいいですが気持ちが変わっちゃうんですよね。
だったらまた1から別のものをやったほうがいい。とにかく一発勝負的なことが
あります。ぼくの場合は。
 
 今回展示している100号の作品は2日で描きました。8時間か9時間くらいか
やって、それでほとんどできていたんですけれど、シルバーのちょんと描いてある
右の点がなくって、この空間はどうしたらいいんだろうなと。何かいけるかな、
いや違うかなと直してみたりして、ちょこちょこやっていて。もうちょっと
体力の限界にきて、寝て。次の日にまたこのちょっとしたことのために5、6時間
使ってしまって。でもぱっと決まってこれで完成!と。本当は1日で決めたいん
ですけれども、80号からそれ以上になるとやっぱり2日はかかってしまいますね。
大きいのに3日とかかったりすると、もう決まらないですね。何日かかっても、
それはもうだめです。
 
 また、3、4日かかるとオイルも早く乾くタイプを使っているので、
ぐっとやったときとか感触も変わってしまうんですね。粘りが強くなって、
手にかかってくるテンションがちがうので、乾いたものは拒まれているみたいな
感じがします。「いじんなくていいよ」「やり直せばいいよ」、
「うまくいかないよ」と。もちろん短時間でできるものはあります。
そんなときはできもよかったりすることもあります。



-重要な「物質」である絵の具ですが、いろいろお使いになってきていますね


 学生で絵を描いていた時は水彩、不透明水彩絵の具と透明水彩をつかっていました。
そこからアクリル絵の具に変わり、大賞をとったころの作品はアクリルと
アクリルガッシュなど、もっと流動性のある素材を使っていました。アクリルは
描くのももっと早いです、数時間でぱっと乾いてしまう。同じ素材で同じ事を
やっていても行き詰ってしまうので、まあちょっと画材でも変えてみようかと。
思い切って独学で油絵の具に手を出しました。
 
 やはりアクリルとは触った感じの絵の具のはねかえってくる硬さがぜんぜん
違いますし、描くスピードも違うので、そのように体が動きます。絵の具の乾く
時間とかその限界であるとか、物質性があるわけですね。それに対して考えるよりも
体で反応していく。それは変わりません。

 同じことをアクリルでしようと思ったらとっくに乾いてしまってできないとか、
いろいろなことが起こりうるわけで。自分の考えで作品が変わるというよりも、
物質が自分の作品を勝手に変えていくようなそんな感じはあります。なので、画材から
の画面の作り方というのはやはり変わってきていますね。


―制作する道具についてお聞かせください
 
 筆、ペインティングナイフ、あとスキージー(※)を使います。あと丈夫な定規を
買ってきて。大きく削る時に使います。指を使う人もいますが、ぼくは使いません。
それでうまくいければいいんですが、ぼくの場合はうまくいかないんです。
パフォーマンスっぽくなっちゃいますしね。せっかくそのための道具があるんだから。
それを使えばいい。指を使って本当にいい絵を描く人はいますよ。
ぼくがそれをやったところでしょうがないでしょ、という感覚があります。

―色彩はいかがですか?近作はモノトーンの色彩が多いように思いますが

 色は、白と黒がほとんどで微妙にグレーやシルバーも使っているんですが、
赤などは使いません。色と物質はやはり違って、色よりもどちらかというと物質感と
いうか絵の具の触った感じの感覚であるというか。

 物質は触ることができるんですからリアルですよね、でも色を触るということは
言わない。そういう感覚もあるのかもしれないですけれど。そういう物質感、形態とか
自分にとってのリアルなものを追求していくと、色が必要なくなってくるんです。
必要ないものを入れることはないだろうと。必要なものだけで構成すればそれで
十分だろうというミニマムな感じでいますので、こういった色を使わない形に
なっています。

-タイトルについてはいかがでしょう
 
  「分岐時間」だとか「間合いの一例」だとかぱっとなんのことかな、と思われる
 かもしません。
 あまりぼくはタイトルですべて説明しきろうとは思っていなくて。
説明しきれるものでもないと思うし、だいたいの方角でいいんじゃないだろうかと。
 ただ、タイトルもやっぱりぼくのキーワードである「距離」をとるということが
入っています。「間合いの一例」というタイトルがありますが、間合いなどという
距離や角度やそういったものがあるという「一例」。たくさんあるうちの1つ
ですよ、それがすべてではないですよと。決定的に間合いやそういうものですと
言い切るものではなくて、その中の1つにすぎないんですよ、という意味でつけて
います。
 あと「分岐時間」というタイトルですが、描いているときの時間の流れは
いくつかの分岐している時間の、その中のひとつであるという感覚です。
決定していると言い切るつもりはないということがタイトルにも少し反映されて
います。




 ※「スキージー」
 シルクスクリーンを刷る際、余分な絵の具を落とすために使う長いへら状の道具


次回は明日、「ファインアートの作家になるまで」を掲載します。